朝日が昇る。深い群青の空が少しずつ薄められていく過程は綺麗だから好きだと思う。けれどその空の下、疲れた身体を引き摺る自分はあまり好きになれない。本来ならば一日の始まりである筈のこの時間帯に、私の一日は終わる。眠らない街かぶき町で働くひとの、運命。
* * *
「おっと」
「ごめんなさ・・・あ」
帰り道、ちょっと余所見をして歩いていたら誰かにぶつかった。咄嗟に発した謝罪の言葉が尻切れトンボになったのは、見知った顔だったから。次第に明度を上げ始めた街に居て尚、闇の様な漆黒の隊服。けれどその服と対照的な明るい栗色の髪は一度見たら忘れない。向こうもこっちを覚えている、大きい瞳が瞬いてこっちを見る。
「おはようございます、沖田さん」
「今上がりですかィ、お疲れさんです」
「ええ、どうもありがとう」
労いの言葉とは裏腹に彼の瞳は草臥れた私よりもとろんとして眠そうで、このひと本当に真選組の隊長さんなのかしら、と疑ってしまう。
「早朝パトロールってホント眠いんでさァ」
「大変ね」
まるで心を読まれたようにタイミングよく言葉が降って来て、内心ちょっと慌てた。でも職業柄、感情を隠してさりげない笑顔を即座に作るのは慣れているから平気。彼も特に何も感じていないようで、子どもみたいな幼い欠伸をして目を擦る。
「あー、もしかして近藤さん・・・来てやしたかィ」
「もしかしなくてもほぼ毎日のように来るわよ」
私と話しているうちに上司の顔を思い出したらしい、徐に尋ねられた。ようやくアフターモードに切り換わりつつあった私の思考はまた仕事のことに引き戻されて、少し言葉が棘を持つ。それも私を追い掛け回している男のことだったから尚更。勿論今話している人がそのストーカー男を慕っていることは知っている、だけどそれを差し引いても苛立つものは苛立つ。
「こうもしつこく付き纏われると困るのよね」
「・・・はァ」
笑顔のまま冷たい言葉を吐く私にどう対応したらいいのかわからないらしい、眠たげな瞳がきょろきょろと動く。私だってこんなこと言いたくないのに、でも疲労もストレスも重なっている、荒んでいる心が頭の命令を屈折させる。このまま話していてもお互いいい気分にはならない、そう私は判断して、適当な別れの挨拶を探して口を開こうとした瞬間。
「近藤さんのこと、ホントに嫌ですかィ」
まっすぐな問いと、まっすぐな視線が私に投げられた。
先程までの虚ろな瞳は何処へやら、澄んだ瞳が見開かれて零れそう。うつくしい、男のひとに対する褒め言葉には使えない気がするけどそれ以外の言葉が当てはまらない。その瞳からまるで定規で引かれたような直線が私を射る、まるで金縛りに遭ったような。言葉を発せない、問いに答えなければならないのに。
「俺、ちっせぇ頃から近藤さんと一緒にいたからわかんですけどねェ・・・近藤さんはいろんな女にフラれ続けてきたけど、立ち直るのも早くて、気づいたらもう次の恋に落ちるような人間なんでさァ・・・でも、今はちげーんです」
黙ったままの私に、沖田さんが一方的に漏らし始めた。彼らしくない、小さくて震えるような声で。
「今は・・・何度アンタにフラれても、『お妙さんじゃなきゃダメなんだ』って繰り返すんでさァ。こんなこと初めてでィ」
そこまで言って、沖田さんはふう、と溜息をひとつついた。まるで喋るのが苦痛のような、重々しい息。神楽ちゃんや副長さんと言い争っている時には微塵も見せなかった、姿。
「・・・・・・ストーカー男を好きになれ、とは言いやせん。でも、近藤さんがどんなに想っているか・・・その気持ちだけは、ちょっとだけ知ってて欲しかったんでさァ・・・」
尊敬する上司の恋を応援する部下、という構図はよくあることだと思う。今もその状態、ただそれだけ。だけど、目の前のひとは悲しげな、今にも泣きそうな表情。何でそんな顔をしているの、綺麗な顔が台無し。
きっと沖田さんが考えているのは、私があの人を好きか嫌いか、ということなんかじゃない。私とあの人が結ばれて、自分達の元から「近藤さん」という存在が遠ざかる日を恐れている、だけど「近藤さん」の幸せを心から願っている。矛盾する複雑な想いが沖田さんの表情を歪めているのだろう、直感的にそう思った。沖田さんだけじゃない、あの目つきの悪い副長さんも、刀よりラケットを大切にしてそうな平隊士さんも、みんなみんな。
私を愛していると言ったひとは、もっともっと多くのひとから愛されている、必要とされている、かけがえのないひととなっていて。
「あなたは本当に近藤さんのことが好きなのね」
長い沈黙を経て私が放った言葉に、沖田さんがぴくりと反応する。涙を零しそうだった表情は消えて、神妙な面持ちでやはり真っ直ぐ私を見つめている。きっと、図星。
「・・・だから、私じゃ駄目なのよ」
沖田さんは黙ったままだった。私の言おうとしていることがわからないのか、それとももう理解してしまったのか。後者だと思う、本当は鋭いひと。
「近藤さんの気持ちはわかってるわ・・・それから、本当はとても素晴らしいひとだってことも・・・只のストーカー男じゃ真選組の局長なんてやれないものね」
好意を寄せられたら、嬉しくない女なんていない。あのひとの真摯な気持ちはわかっている。ただ、私にとってちょっと重すぎる。過剰な愛だけじゃない、あのひとの肩に乗っているものが。
「だからあのひとの1番は私じゃいけないの・・・1番は真選組、あなたたちと一緒にこの街を守ること・・・そうでしょう?」
沖田さんが首を傾げた。否定と肯定の間で揺れて、真っ直ぐに頷くことができなかったんだろうと思った。ああ、私はこの優しいひとを困らせてばかりいる。返答に困る疑問符を投げかけたいんじゃない、私の考えを知って欲しいだけ。だから私はまだ誰にも話したことがなかった、ひとつの想いを口にした。
「けれどもし・・・いつか・・・本当にいつになるかわからないけど、私が近藤さんの背負っているものも受け止められるようなひとになった時・・・まだ近藤さんが私を想ってくれるなら・・・私は応えようと思うの」
沖田さんは一瞬きょとん、とした表情をした。けれど次の瞬間深々と頭を下げられた。
「わかりやした・・・その時はよろしくお願いしやす」
「沖田さん、」
「それからは必ずずっとずっと、護りまさァ」
顔を上げた沖田さんの瞳には、今までで1番強い意志の光が宿っていた。左手はぎゅ、と刀の鞘を握っている。護る、という言葉に込められた意味。近藤さんと真選組、そして私のことを言っているのだと理解する。大切な人、大切な場所、そして大切な人の愛した人。
ああ近藤さん、貴方は幸せ者ね。自分の為にあそこまで言ってくれるひとがいる、それだけで人生が鮮やかに色づく。もしも未来、近藤さんと一緒になることがあったら私もあの人に色をつけることができるのだろうか、今はわからない。
けれど、誰かの生きる道に色を添えるられること、そして誰かが自分のそれに色を添えてくれること。それはとても幸せなことかもしれない。朝日が夜の闇をうつくしいグラデーションで染め替えていく様な、そんな存在に私もいつかなれたらいい、と思った。
Like a dawn