生温い風に混じって、血の臭い。またかよ、と心の奥で舌打ちする。もう何度も見るもんだから慣れちまった、これは夢だ。そして遠い過去の現実。

ゆっくりと足を進めようとするが動かない、足に何かが絡んでいる。視線を下に向ければ真っ赤に染まった手が何本もあって俺の足を掴もうとしている。何故お前だけ生きている、卑怯者、道連れにしてやる。耳からではない、脳裏にぐわんぐわんと言葉が響く。デジャヴ。これも毎度同じ、俺は諦めて目を閉じ体の力を抜く。

いつからだったのかももう忘れたが、俺は時折この夢を見る。攘夷戦争の果て、仲間の屍で埋め尽くされた荒野を歩く自分。もう何年も前の、古い記憶の景色だ。地面にのたくる、もう既に「ニンゲン」ではない仲間が怨みの言葉を吐く、俺を引きずり込もうとする。苦しい、けれど死んだ奴らはもっと苦しかったのだろう、そう思うと抵抗する力が無くなる。やがて俺は呼吸困難になって飛び起きる、そこで夢だと気づく。脂汗に塗れ、震えが止まらない最悪の目覚め。

きっとこれは罰なのだろうと思う。目の前で命を失っていく仲間を救えなかった自分への。だからもう、苦しくても在るがままに受け入れようと思っていた。























(・・・?)


いつものようにどろどろとした赤の中へと引きずり込まれるかと覚悟していたのに、逆の方向から引っ張られる感触がして驚く。足元では未だに赤が絡みついている、けれどそれをも凌ぐ力で、何かに引っ張られている。俺は諦めから閉じていた目を開いて、引っ張られる方に首を回した。

ちいさな、手だった。

その手はうつくしかった。下で蠢く無数の手は赤かったけれど、今俺を引っ張るその手はつるりと白くて、何の汚れも無い。既に下半身を飲み込まれ赤く染まりつつある俺が触れていることすら罪悪感を覚えてしまうような、神々しくて眩しい、手。

いいのか、こんな俺を救おうとしてたら、お前まで赤に染まっちまうぞ。その肌が汚れちまうぞ。心の声は通じたのかはわからない、だけどタイミングよくその手がするっと伸びて俺の肩を優しく抱きしめた。

暖かい。

何故。どうして俺を。

体の奥が熱くなって、何かが込み上げてくる。それは俺の瞳から溢れて、俺を抱きしめる小さな手を濡らした。そのまま本能に従って、その温もりに縋った。小さな手がふわ、と俺の髪をを撫でる。優しい。

お前はこんな俺でも受け入れてくれるのか?
血に塗れ、汚れた俺でも許してくれるのか?

問いかけに返事は無い。けれど優しい手は、きゅ、とさらに俺を強く抱きしめた。視界が白くなる。埋め尽くしていた赤がだんだん遠ざかるのを、俺は意識の底で薄らと感じた。























白い視界がだんだんと色を帯びる。薄汚れた天井がぼんやりと見えて、自室だと理解する。やはりあれは夢だった、だけどいつもと比べ目覚めがいい。嫌な汗も動悸も無い。何だったのだろう、わからない。部屋はまだ暗くて朝は遠い、ならもうひと眠りしてしまおう。そう思って寝返りを打とうとした瞬間、体が自由に動かないことに気づく。

ハッとして暗い部屋に目を凝らした。何で気づかなかったのか、目の前に真っ黒の丸い頭。数少ないアイデンティティの眼鏡も外して、気の抜けた顔で眠っている。反射的に振り向く、其処には予想通り、珊瑚色の頭が涎を垂らして幸せそうに寝息を立てている。


「・・・何やってんのお前ら・・・」


狭い布団の中、何で3人で縮こまって寝ているんだ、わけがわからない。これが冬だったら確実に風邪をひいただろう。しかも何故かご丁寧に俺の両手を其々握り締めている。ほんのりと感じる、肌の温もり。


「・・・」


まさか、と思う。そんな御伽噺みたいなことは信じられない、だけど。今自分の手に触れている暖かさは、夢の中で感じたものと一緒で。

もう一度ふたりの顔を交互に覗き込む。俺の手をしっかりと握りながら、安心しきって熟睡している表情を見たら、言葉にならない想いが込み上げた。夢と同じ屍の荒野で、もうこの肩に大切なものなど背負わないと泣きながら誓ったのに。俺が今抱えているこの感情は何だ、暖かい手をもう離したくないと願う感情は何だ。

答えは出ない。だけど今、唯一思うこと。この愛しい存在が俺を必要としてくれるなら、俺はその手がいつまでもうつくしくあるように、護り抜きたい。

ふたつの手を、そっと握り返す。また悪夢に襲われたとしても、もうきっと、迷わない。












Precious,Precious