「ヅラァァァァーーーーー!!」
甲高い声が聞こえた。
ああだからその恥ずかしい渾名で呼ぶのをやめてくれないか周りの視線が痛いじゃないかいやしかし俺は指名手配されている身だから本名を大声で叫ばれても困る―などど考えているうちにその声の主は俺の側まで来ていた。真っ白い巨大な犬と、日傘を差した少女。傘の中から鮮やかな珊瑚色が顔を出して、にかっと笑う。
「ヅラ、久しぶりネ」
「リーダー」
俺も彼女も最早カレーニンジャーなどというふざけた存在ではなくなった今、リーダーという呼び方をする必要は無いのだが他に相応しい呼び方がわからないので俺は未だに彼女をそう呼ぶ。彼女も全く違和感を感じていないらしく、何事もなかったように口を開く。
「あれ、今日はエリー一緒じゃないアルか」
「エリザベスは他の任務があって別行動だ」
「“ジョーイ”活動アルか」
「まぁそんなところだ」
一瞬、彼女の顔が曇ったように見えた。しかし、すぐにいつもの表情に戻ったのでわからなくなる。見間違いだろうと片付けて俺は次の言葉を紡いだ。
「リーダーは定春君の散歩か」
「うん、あと酢昆布買いに行くネ」
彼女は手の平に握りこんだ小銭をチャラチャラと鳴らした。チラリと見えた硬貨は殆ど茶色で、10円玉ばかりであることが窺える。俺は今日の酢昆布の正しい値段なんて知らないが、多分買えても1箱か2箱だとは想像できた。普通ならそれで充分だろうが、この子には物足りないだろう。以前銀時が放った「コイツの生きがい酢昆布だから」という科白が頭を過る。そんな生きがいの為に渡された金もこれだけしか無かったのか、万事屋の家計は今日も今日とて苦しいらしい。
そんなことを考えていたらつい、勢いで言葉が出てしまった。
「よし、たまには俺が奢ろう」
「・・・・・・マジでかァァ!!」
最初は何を言っているかわからなかったらしい、時間差で喜びを表して、じゃあ早く行こうとばかりに俺の着物を猛烈な力で引っ張るので俺は転びそうになりながら彼女の後についていった。傍から見れば大の男が少女に引きずられているように見えてありえない風景になっていることだろう。しかしこの少女は天人、しかも史上最強の夜兎族だ。男ひとりの体重なんて彼女にとっては軽いもののうちに入るらしい。これに日々付き合っている銀時も大変だなと、腐れ縁の友人を珍しく心の奥で労った。
* * *
しゃくしゃくしゃくしゃく。
公園のベンチに座った俺の横で、リズミカルな音を立て彼女は幸せそうに酢昆布を噛んでいる。酢昆布は決して不味いものとは思わないが、そこまで嬉しそうに食むものでもないだろう。数箱奢ったくらいで飛び上がる程喜ばれたら、逆に何だか後ろめたくなってくる。
「リーダーは本当に酢昆布が好きなのだな」
「好き嫌い以前に、コレ無いと落ち着かないアル」
それは最早中毒なんじゃないのか、煙草みたいなものか。と、ちょっと彼女の将来とその健康を憂いていたら、酢昆布を食む音がぴたりと止まる。もう一箱食べきってしまったのかと彼女を見ると、まだ手には食べかけの酢昆布。
「リーダー?どうかしたか?」
急に動きを止めた彼女に声をかける。
ゆっくり俺の方を向いた彼女の瞳は、見たことも無いような色が浮かんでいた。何処か痛いのを我慢しているような、少し苦しげな表情。俺は彼女のそんな表情を見たことがなかったし、今後も見る予想すらしていなかった。だっていつも、生意気そうな笑顔を湛えていたから。
「?気分でも悪いのか?」
「・・・ヅラは、」
彼女が俺を見た。深い紫を帯びた、瞳が不安定に揺れている。
「私のことが憎いアルか」
考えもしなかった言葉に、俺は文字通り目が点になる。驚きで自分が問われている立場にあることすら忘れ、ただ彼女の顔を見ていた。
「“ジョーイ”活動って、天人を追い出す活動ネ・・・ヅラは忘れてるかもしれないけど私天人アル・・・」
口を開かない俺に痺れを切らしたらしく一方的に彼女が紡ぐ。その言葉を聞いて、やっと俺の中に一本の糸が通る。先程会った時、「攘夷」という言葉に一瞬憂いの表情を浮かべたのも見間違いではなかったのだ。
ああそうか、彼女は確かに天人だ。
忘れるわけない、鮮やかな髪も、透き通る肌も、この惑星には存在しない生物の証。現に今、俺を不安げに見上げる瞳の色だってそうである筈なのに。ついさっきだって、彼女の怪力に引っ張られたばかりな筈なのに。俺は彼女を天人として眺めたことはなかった、頭の中で理解していたとしても。初めて会った、池田屋で銀時の側に立って、爆弾を弄くりまわしていた時から。何の違和感もなく、銀時の家族みたいなものかと納得して。天人だから憎いなんて感情、一度も携えたことは無い。
・・・今までも、これからも。
「リーダー」
「・・・」
俺が口を開くと、らしくもなくびくり、と震えた表情。
ああ、笑顔が苦手な自分は損だと思ったのは初めてだ。
「俺は嫌いな奴に酢昆布を奢ったりしない」
敢えて言葉を置き換えて、優しく放とうと精一杯の努力をしてみる。
「ヅラ」
震えていた紫色が一瞬大きく見開かれて、その後恥ずかしそうに細められる。不安に満ちた表情はへにゃりと崩れ、照れた笑顔を見せた。どうやら俺の拙い言葉は彼女の心まで通達してくれたようだ。まるで照れ隠しをするかのように、手に握っていた酢昆布を再び食み出す彼女が微笑ましかった。
「ヅラ、ごちそーさまアル!」
酢昆布一箱を食べ切って、彼女は俺に向かって笑った。
「今度は私がヅラに奢るネ」
「気を遣わなくてよいのだぞ」
「銀ちゃんに奢らせるネ」
「そうだなそれはいいかもしれん」
先程とはまるで正反対の、眩しい表情で笑う顔を見て、何故か俺も心が温くなる。夜の兎と呼ばれているのに、まるで太陽のような。
「そろそろ帰るネ、あんまり寄り道すると新八が無駄に心配して煩いアル」
「そうだな、それに早く定春君を止めないとお友達が失血死するぞ」
「定春うー!帰るアルヨー!!」
定春君は向こうでガキ大将の頭を齧って遊んでいたようだが、その声を聴くとくるり、とこちらに方向転換をして走ってきた。彼女はハッハッと息をする首筋に手を回し、帰るヨと優しく囁いている。
「ヅラ、またネー」
「銀時と新八君によろしくな」
「了解アルー奢らせるアルヨー」
彼女はそう言って駆け出していった。手を振る珊瑚色と白い獣は瞬く間に遠くなる。夜兎として生きてきた彼女の軌跡を俺は知らないが、あの年で見知らぬ惑星に来て生活しているのだから、苦しいことも辛いこともたくさん抱えてきたに違いない。そんな彼女の前で攘夷という信念を貫く俺の行動は、知らないうちに彼女の過去を抉っていたのかもしれないと思うと、心が痛んだ。
「・・・すまなかったな」
俺は見えなくなった背中に向かって呟く。
これから彼女は俺に奢られたことを銀時と新八君に話して、今度は俺に奢ると言い張るのだろう。そんなちょっとした団欒の図を思い浮かべて、彼女は今きっと幸せなのだろうと思った。太陽の光に嫌われた夜の兎。だけど日に当たることができなくとも、彼女を暖めてくれる場所があればきっといい。人の幸せを願うという当たり前の感情を久しぶりに得た気がして可笑しくなって、俺は日が傾き始めた空を仰いだ。
桃色と蜜柑色を混ぜたような、穏やかに染められた空の色。
それは、彼女の髪によく似ていた。
Sunset coral