「ホントに行っちまうんだな」
「今更何言ってんだ」


俺が半分ひとりごとのように呟いた言葉に、間髪入れずきっちりとツッコミが入る。出会った頃からずっと変わらない、隙の無い仕草と態度。もうどれくらい一緒にいたのかはわからない、わかっているのはそれがあと少しで終わりということだけ。リボーンは今日、俺の元を去る。


「なんだ、寂しいのか」
「そういうわけじゃねーけど」


リボーンの言葉を完全に否定したら嘘になるだろう。へなちょこだった俺がマフィアのボスなんかをやっていられるのも、全てはリボーンのスパルタ教育のおかげだ。当時は嫌で嫌で仕方がなかったけれど、リボーンの教えが無ければ俺は今ここにいない。そんな状況だから、リボーンがいなくなる、という事実に俺は心細さを隠し切れない。


「ボンゴレの依頼だ、何よりも優先しなきゃなんねー」
「わかってるって」


ボンゴレファミリー。俺がボスを勤めるキャバッローネと、友好関係にあるファミリーのひとつ。しかしその規模はイタリアで最大、いや、世界でもトップクラスだ。ボンゴレ、という響きだけでどんな強者も恐れの表情を浮かべる。全ての物事に於いてボンゴレの要求は最優先であり、何よりも尊重される。リボーンが俺を離れる理由も、それだ。

年老いたドン・ボンゴレ9代目は後継者育成に乗り出した。しかもその後継者候補として挙げられた人物は日本にいるという。初代ボンゴレが引退後日本に渡ったのはわりと有名な話だが、血を引いた人間が何も知らずに生きているという情報を知っている者は少ない。いや、知られていたら、今頃そいつの命は無いだろう。


「聴いたぜ。日本の中学生だってな」
「ああ。おめーよりもさらにへなちょこらしーぞ」
「そりゃあ大変だ。ドン・ボンゴレになれんのか?」
「俺を誰だと思ってんだ?」


にやり、とリボーンの口元が上がる。いつだって余裕の笑み。そしてそれは誇張でも厭味でも無く、真実なのだ。リボーンは最高の殺し屋であり、誰よりも優れた家庭教師。今日までは俺の、明日からは次期ボンゴレ候補の。日本は地球の裏側、遥か遠い東洋の島国。イタリアと行き来するにはなかなか努力が要る、もう目標達成までリボーンがイタリアに戻ることは無いだろう。普通の中学生(しかも俺よりへなちょこだという!)を、ドン・ボンゴレに仕上げるには、一体どれくらいの時間がかかる?想像も出来ない。俺が次にリボーンに会うのはいつになる?そう思うと、いよいよどうしようもない気持ちになってきた。


「・・・なあ、リボーン」
「なんだ」
「ちょっと、いいか」


リボーンの返事を待たずに、俺はリボーンを抱き上げた。赤ん坊を抱くなどという行為は慣れていない、不器用な動きで、けれど精一杯優しく。ひとに触れられるのを嫌がるリボーンだったから、撥ね付けられるかと思ったが、リボーンは俺の腕にすっぽり納まって大人しくしている。それに気をよくして、俺は更にぎゅっと抱きしめた。


「リボーン、ありがとな。すげー感謝してる」
「・・・」
「・・・うまく言えねーけど、俺」


本当はもっとたくさんのことを伝えたい。今俺の心にある、あふれるような感謝の気持ち、そしてほんの少しの寂しさを、もっと綺麗な言葉で、もっと心に響くような表現で。でも俺は不器用で、こんなありふれた平凡な言葉しか発することができなくて。だから、こうやって触れ合っている場所から俺の気持ちが伝わって欲しいと思った。

俺は小さい頃、いろんなひとに抱き上げられた記憶がある。ボスである親父、その腹心の部下であるロマーリオを筆頭に多くのひとたちに、ずっと世話をしてくれた乳母に、町に出れば食堂のオバちゃんに至るまで。俺はその行為が大好きだった。俺を抱える腕の温かさに、愛されているという喜びを感じた。俺がキャバッローネの10代目候補だから、という理由だけで可愛がってくれた人間も少なくないかもしれない。それでも俺は、抱き上げられる度に幸せを感じていた。だからっていうわけじゃないけれど、今、その温もりを、あの幸せを、ほんの僅かでもいい、リボーンに感じて欲しい。唯一今俺ができる、感謝の表現。


「ディーノ」


黙っていたリボーンが俺の名を呼ぶ。びくりとして腕を少し緩める、だけど顔は見られない。抱き上げられて嫌がっているかもしれない。リボーンは子どもじゃない、見た目だけだ。俺よりずっとたくさんのことを知り、ずっと強い力を持っているのだから。きっと、甘ったれるなだとかいい加減にしろだとか言われて、突き放されると思った瞬間。


「あったけーな」


予想外の言葉。


「きもちいーぞ」
「・・・リボーン・・・」


瞳の奥が一気に熱くなる。だめだここで泣いたら、マフィアのボスが家庭教師との別れでぐだぐだ泣くなんておかしいだろ。もうひとりの俺が必死に窘めているのに、視界は勝手に歪んでいく。


「大丈夫だぞ。お前はもうどこに出しても恥ずかしくないボスだ。優秀な右腕もいるじゃねーか。何も心配はいらねーぞ。俺も安心して日本に行ける」


リボーンのちいさな手が俺の腕をぽんぽん、と優しく叩く。ああこれ逆だ、俺が抱きしめたのに、抱きしめられている。視界はますますふにゃふにゃになって、溢れて頬を伝う。でももう止められない。最後の最後で、俺はへなちょこに戻ってしまった。リボーンと出会った、あの頃と同じように泣いた。違うのは、あの時はスパルタのリボーンが嫌で泣いて、今はそのリボーンとの別れで泣いているということ。


「・・・っ、ごめんなリボーン・・・最後までこんなんで・・・俺・・・」
「ディーノ」


リボーンの手が俺の頬をむに、と掴んだ。こっちを見ろ、ということなのだろう。随分情けない表情をしていると自覚していたけれど、瞬きをして精一杯の顔を作って向き合う。


「俺が旅立つ理由はそれもあるんだぞ」
「・・・え?」
「俺がいたらいつまでもお前は俺に頼るへなちょこのままになっちまう。俺が足枷なんだ」
「・・・リボーン、」
「だから俺はいい機会だと思ってるぞ。お前も俺から旅立つんだ、いいか」


真っ黒の瞳が射抜くように俺を見ている。ああ、確かに。俺はリボーンにずっと甘えてきた。でももうそれは許されない、俺はキャバッローネのボスとして、自分の力で自分のファミリーを引っ張り、護っていかなければならない。そうか、これは卒業だ。ボスに就任した時は「へなちょこディーノ」からの、そして今は「リボーンの生徒ディーノ」からの。


「ああ、わかったよリボーン」


ひとつ、唾を飲み込んで、リボーンの瞳を真っ直ぐ見て。


「俺は、今日、リボーンの生徒を卒業する」


ひとことひとこと、噛み締めるように言った俺を見て、リボーンが口角を上げて満足そうに笑う。


「そろそろ時間だ」


俺が腕を緩めると、リボーンはすとん、と床に降り立って側にあったアタッシュケースを握る。もうすぐロマーリオが車の準備を済ませてここへ来る頃だ。

「未来のドン・ボンゴレによろしくな」
「ああ、俺の指導が軌道に乗ったら会ってやってくれ」
「勿論」
「ちゃお、ディーノ」
「・・・チャオ、リボーン」


小さな黒い背中は、振り向くこと無く部屋を出て行った。











* * *











1ヶ月後、日本から届いた一枚の写真には、ひとりの少年が困ったような表情を浮かべて写っている。彼が例の次期ドン・ボンゴレ。ファミリーの頂点に立つ人間として、俺と同じ運命を背負わされ、同じ家庭教師をつけられた弟分。優しげな瞳は現ドン・ボンゴレを、頼りなさげな雰囲気は過去の俺を映しているようで、他人には思えなかった。

少年の側には、相変わらず不敵な笑みを浮かべたリボーンが佇んでいる。きっと今頃スパルタ教育の餌食になっているのだろう、ああ、何もかも同じ。いつか遠い未来この少年も、誰よりも厳しく誰よりも深い愛を注いでくれた家庭教師を抱きしめて泣くんだろう。そしてまた一枚、甘えん坊の生徒の為に、卒業証書が発行される。


















A diploma of boy pampered