始まりは獄寺からの電話だった。


「山本お前イタリア旅行行く気ねぇか」
「はっ?」


獄寺からかかってくること自体珍しくてびっくりしているのに、ますます驚くようなことを言われて思わず聞き返す。話によると、知り合いのイタリア人から誘われていたのに急用で行けなくなり、勿体無いから代わりに行ける奴を探してる、とのこと。イタリアと言えば獄寺の出身地でもある。季節は夏休みの真ん中、イタリアにそんな風習があるかは知らないが里帰り的な意味も含むものじゃないのか。


「なぁそれ俺が行ってもいいもんなのかよ、お前の田舎じゃねーか」
「田舎ってお前な・・・いんだよ、単なる旅行なんだから」
「でもお前の知り合いなんだろ?俺面識ねーのにいいのかよ」
「なくねーよ、連れてってくれんのはディーノだよ」
「あー」


ディーノさんという人は知っている、ツナの知り合いだ。何度か会ったし、一緒に雪合戦をしたという奇妙な思い出もある。俺は外国に行った経験なんてほとんど無いし、勿論イタリアだって始めてだ。興味があるかないかだったら断然前者で。そんな俺のノリを理解したのかどうかはわからないけれど、獄寺はどんどん話を進めていく。 親父に話をしたら「イタリアくらい行ってくりゃいいじゃねーか」となんとも暢気な返事。まだ中学生の息子に対する言葉じゃない気もしたが、とりあえずOKが出たわけだから前向きに考えておく。部活は夏の大会が終わって幾分緩いスケージュールだ、多少休んでも問題は無いだろう。

結局俺は翌日の昼には日本を発つってことで話が纏まって、慌てて部屋中ひっくり返して存在すらも忘れていたパスポートを探す羽目になった。











* * *











「山本?!」


バタバタと夜が明け、俺が着いたのは空港のロビー。 獄寺が来ると思っていたんだろう、ディーノさんは綺麗な顔を驚きの表情に変えて俺を迎えた。


「獄寺は?」
「行かれねーって伝えてくれって」
「・・・そうか」


ディーノさんはいつもの人懐こい笑顔に戻った。初めて会った時はその手首から首筋まで走る大胆なタトゥに少しびっくりしたけど、話してみると本当にいい人だ。日本語も驚く程流暢で、訛りも感じられない。そんなディーノさんは何故か、いつものカジュアルな服とは異なる全身黒スーツで決めていて、男の俺から見てもものすごくカッコいい、けど。


「山本はイタリア初めてか〜」
「そうっすねぇ〜」


格好とは全く正反対の、暢気で明るいトーンの問いが振られて、俺も肩の力を抜いて答える。


「向こう行ったらうまいもんいっぱい奢ってやるよ」
「ええマジすか、すんませんねー」


どうやらこの旅はディーノさんが全面的に仕切ってくれるらしい。家が寿司屋だったせいか、俺は和食ばっかり食べて育ってきた。だからこういう機会は素直に嬉しい。まだ見ぬイタリアに期待を膨らませる俺とディーノさんを乗せて、飛行機は静かに日本を発った。











* * *











初めてのイタリアは予想以上に素晴らしいところだった。食べ物はうまいし、景色も建物も美術の教科書で見たようなものばかり。目に入るもの全てが驚きの連続。けれど1番驚いたのは、ディーノさんの家だった。

俺んちに泊まることになってるんだぜ、と言われ俺みたいな余所者が何だか申し訳ないなぁなんて思いながら車に揺られていたのに、そんな気持ちすらすっかり忘れてしまう程の豪邸。一体どこからどこまでが家なんだ、いつか映画で見たような光景に開いた口が塞がらない。


「ゆっくりしてけよ」
「すげー・・・コレ全部ディーノさんの家なんすか」
「まぁな」


さらっと言って何事も無かったように豪邸のエントランスへと進むディーノさんに、場違いのような気がしている俺は少しだけ肩を窄めてついていく。

案内される途中、スーツもサングラスも全身真っ黒の、怖そうなおっさんに何人も出会った。しかし、その誰もがディーノさんを見ると恭しい態度に変わる。あきらかにみんなディーノさんより年上なのに。ここにいる人達はみなディーノさんを慕っている、言葉が通じない俺にもそれくらいはわかった。不思議な光景。ディーノさんはもしかして大企業の社長とかそんなんなんだろうか、そう言えば空港でも機内でもイタリアの街中でも、同じ様に黒スーツの人が数人、さりげなくディーノさんの側にいたな、と思い出される。ボディガードってやつだろうか、確かにこんなに大金持ちっぽいと襲われるかもしれない。

夕食も豪華だった。ディーノさんと俺とディーノさんの部下の人(だと思う)の数人で、広い部屋で白いテーブルを囲んだ。ディーノさんはワインを飲んで酔っ払って俺にも勧めたけどさすがに一口だけにした。西洋のお酒は経験がなくて(だってまだ俺14歳だし!)、あまり飲めそうになかった。酔ったディーノさんは昼間よりも饒舌になって、いろいろ俺に話しかけてきた。時折イタリア語が混じってしまっていたから、100%理解はできなかったけれども。

一時、話がツナのことになった。ディーノさんはツナのことを、昔の俺にそっくりだから放っておけないんだよな〜と言う。金髪イケメン兄ちゃんに昔俺は日本の中学生にそっくりだったなんて言われても想像つかないが、ツナを大切に思っていることはよく伝わってきた。


「なぁ、ツナを守ってやってくれよ」


ふと、ディーノさんが俺の方を真っ直ぐに見て言った時、何故かどうしようもなく悲しくなった。











* * *











夕食が終わってベッドに潜ってからも、さっきのひとことが頭から離れない。あの言葉にはどんな意味が隠されているのだろう。一度考え出すと止まらない、疑問符は増える一方だ。そもそも何で獄寺は俺に行けって言ったんだろう、あいつなら絶対俺よりツナを先に誘う筈だ。ツナが断ったのかもしれない、それとも何か事情があったのか。だいたいツナを守るって何だ?女だったらわかるがツナは男だ。ツナは俺の親友、そしてツナもきっとそう思ってくれている、信じている。それ以上もう何もないだろう。いやでも獄寺はよく俺が十代目をお守りしますとか何だとか言ってるな―――

そこまで考えて、俺ははた、と止まる。線がひとつに集まる感覚。

じゅうだいめ。

その響きには変な渾名、くらいの認識しかなかった。でも今は違う、特別な意味がある。俺が思うに、ツナはああ見えて実は将来何かの大きな椅子を約束された、跡継ぎか何かで。だったら「十代目」っていうのも納得がいく。きっとそれはひとりで背負うには酷く重たいものなのだろう、だから獄寺は右腕になるって喚いてて。ディーノさんは全てを知っていてツナと親しい俺にも声をかけたんだ、きっとそうだ。

ああそうか。

さっき俺が悲しくなったのは、ツナが俺の知らない場所で、知らない存在になっていく気がしたからだ。獄寺もディーノさんも知ってて、俺が知らない何か大きなものに。

でも俺は知りたいわけじゃない。今は知らない方がいいのかもしれない。だって俺は普通の中学生で、ツナも立場は同じなんだ。何も考えないで、好きなことやって、当たり前のように笑っていたいんだ。だから全てを知る必要が来る日まで、何も知らないふりをしていたい。それでもいつか、真実を知らなければいけない日が来るんだろう。ツナが何か大きなものになって、大変な思いをする日が来てしまうんだろう。その時は何を失っても、俺はツナの力になろうと思う。必要とされるならば、ディーノさんの言葉どおりツナを守ろう。でもそれは頼まれたからじゃない、俺の意思だ。

馬鹿な俺を、命を懸けて助け出してくれたひと。今度命を懸けるのは、俺の方。












Our opaque tomorrow