『理想的な右腕』という定義など無い。

ツナの補習が終わると聞いて鉄砲玉のように飛び出して行ったあいつは、ある意味では『理想的な右腕』なのかもしれない。ツナへの忠誠心は誰よりも強く揺るがない、ツナの為ならなんでもできる男。けれどそんなあいつの欠点もまた、同じことだ。ツナの為になんでも投げ出してしまう、それがたとえ自分の命でも。

今までにボスを庇って死んだ右腕は確かにいた。俺はその場にいたわけではないから詳しくは知らないが、ボスに向けられた銃口の前に何の躊躇いも無く飛び出したという。以前骸がツナに銃を向けた時、獄寺は全く同じ行為をした。その時思った、獄寺はツナを一生裏切らない、望みどおり右腕になってそして、きっとツナの為に命を落とすのだろうと。実際充填されていたのは憑依弾で、その弾は骸自身に放たれたからツナも獄寺も実弾に貫かれることはなかったわけだが。しかし今後も似たような状況に直面することが確実にある、いや寧ろ増えていくのだ。その度に獄寺は同じ行動に出るだろう、そしていつか放たれた弾が心臓を貫いてしまったら?獄寺は満足かもしれない、誰よりも大切な「十代目」を守って死ねるのだから。だけどツナは?残されたツナは?


(壊れるまで泣くだろうな)


目に浮かぶように、簡単に想像ができて嫌になる。

大切な仲間が自分の為に死ぬ瞬間を目の当たりにしたら、きっとツナの心は砕け散るだろう。それが獄寺でなく山本だろうと了平だろうと雲雀だろうとあのアホ牛だろうと同じこと。誰よりも優しい、脆い心を持ったひと。けれど俺はツナをボンゴレのボスにしなければならない。

はっきり言ってマフィアのボスが部下の死の度に長期間塞ぎ込んでしまったら、ファミリーは続きやしない。けれど、大切なひとを失う痛み、伝う涙の暖かさをわからない奴をボンゴレは必要としていない。どんな悲しみも苦しみも乗り越えていける強い精神力と、誰かを想う優しい心、ふたつをツナは持って歩いていかなければならない。後者に関してツナは充分合格点だと思う、勉強やスポーツができることよりもずっとずっと、人間として最も大切な感情は。しかし前者に関しては、どんなに俺がスパルタ教育をしても、ツナは理想まで辿り着かないように思える。無理に鍛えたら、優しい部分のツナが死ぬだろう。こればっかりはどうにもならない、ある程度性格というものが影響しているのであって、努力も経験もある一定のラインに達したら無意味になるのだ。だから俺は言った、これから最もツナの側にいるであろう人間に。

ツナを残して死ぬな、と。

実際はこんな直接的な言い方ではない、俺の理想などという言葉を借りてのメッセージ。だが頭のいい獄寺なら充分理解しただろう、余計な言葉は要らない。

殺すことを生業としている俺が遠まわしとはいえ死ぬなよなんて科白を吐いていることを笑う奴がいるかもしれない、だけどそれとこれとは別だ。だって自分の教え子が可愛くないわけがないだろう?あいつが悲しみの涙を流すのは御免だ。だから俺はツナだけじゃない、ツナを守る全ての奴らを強く育てなければならない。

九代目の依頼に頷いたあの日からもうかなりの月日が流れた、だけど俺の仕事はまだまだこれから。
愛しい教え子とその守護をする奴らの為になら、この手は何度でも引き金を引ける。












Dedicate.3