十代目はどんどん強くなっている、と思う。

それを十代目ご本人に言えば何言ってんの獄寺君などど謙遜の言葉で遮られてしまうのだけれど。それに対して俺はどうだろう、右腕として相応しい成長をしているだろうか。考え始めると止まらない、俺はまだまだだと思う。言いようの無い焦り。











* * *











誰もいなくなった放課後の教室は静かだ。

十代目が受けている補習が終わるまであと20分、微妙な待ち時間が退屈に思えてきた。どこぞの野球馬鹿は名前の通り野球をしてるから暇を潰す相手もいない。落ち着かない、条件反射の様に手がポケットの箱に伸びる。教室に匂いが残るのは後々煩いと思い、窓を半分開けて凭れかかり口元に炎を点す。窓の外、空に向かい紫煙を吐き出したら晴れわたる碧が眩しくて、くらりと眩暈を覚え顔を教室に戻した。その瞬間微かに、だけど香ばしい匂いが鼻を擽る。


(あ)


俺は反射的に教室を飛び出した。廊下の方が匂いが濃い、間違いない。迷わず走って辿り着いた校舎の端、使われたことがないであろう消火栓の前。屈んでコンコン、と無機質な金属の扉を叩いて、少しだけ声を潜めて。


「・・・リボーンさんいます?」
「いるぞ。ちゃおッス、獄寺」


扉が開いて、今まで嗅いでいたよりも数倍濃いエスプレッソの香りがふわり、と舞う。中に居るのは、十代目の家庭教師で凄腕のヒットマン、リボーンさんだ。扉の中に作られた空間はリボーンさんの秘密基地。ここでリボーンさんは学校での十代目を見守っている。物理的に非常識だとか、その辺りは考え出したらきりがないのでやめておく。

目が合って、何か言葉を発そうとする俺を遮り紅葉のようなぷくぷくした手がちょいちょい、と手招きした。入れってことなんだろう、俺は軽くお辞儀をして身体をその空間に押し込んだ。


「また何か悩みか?」
「・・・いや、悩みってわけじゃないんすけど」


エスプレッソを飲みながらリボーンさんが俺に聞いた。前にも俺はこうしてリボーンさんに悩みを相談しに来たことがあった。今は具体的な悩みがあるわけじゃない、言葉に出来ない焦りに苛まされているだけだ。でもそれを話しに来たってわけじゃないし、何だか単なる勢いみたいなもんでここに来てしまったから言葉を濁す。リボーンさんは黙った俺に何か察したらしく、カップをことん、とテーブルに置き俺の目をじっと見た。


「あれか、『俺は十代目の右腕に本当に相応しいのか?』とか考えてるんだろ、ちげーか?」
「!」


ほとんど命中していた問いに言葉が出ない。ああそうだリボーンさんは読心術使えるんだった、隠し事なんてできない。


「お前の考えてることは読心術使わなくてもわかるぞ」
「・・・」


最初の問いは心を読んでいなかったらしい、そして今は心を読んだらしい。完全に向こうのペースに飲まれて、俺そんなに単純なのかと何だか少し切なくなってきた。まぁここまで読まれてるんだったら開き直って聞いてしまえばいい。


「リボーンさんの仰るとおりなんすよ、俺ホントに十代目の望む右腕として成長してんのかって思って」
「それは俺に聞くことじゃねーぞ」


答えはバサリと切られた。

最もだ、この人は十代目の家庭教師であって、俺のではない。本当はこうやって話をさせてもらえるだけでも感謝しなきゃいけない、そう俺は言い聞かせた。小さくて可愛らしい手が、くっとエスプレッソを呷る。あの手で銃を握って一体何発の弾を撃ってきたんだろう、想像もできない。ただわかるのは、この人が俺よりもずっとずっと強くて優れているということ。九代目が最も信頼するイタリア1のヒットマン。

・・・だからこそ、聞いてみたいことがあった。今までタイミングがなくて、置き去りにしていた質問。


「リボーンさん、ひとつだけいいっすか」
「なんだ」
「リボーンさんの思う、『理想的な右腕』の姿ってどんなんですか」
「・・・」


返事はない。ただ、美しく磨かれた黒曜石のような瞳が俺を見ている。


「あのっ、俺がどうとかじゃなくて、リボーンさんの考えが聞きたいんです」


言葉を追加してもリボーンさんは黙ったままで、ああやっぱりこれも聞くべきじゃないものだったんだと俺が後悔を始めたその時、


「ボスが死ぬ時まで右腕でいる奴だぞ」


いつもと全く変わらない、平坦な口調で答えが紡がれた。あまりにも普通に答えられたから、意識が数秒遅れでようやく追いつく。


「ボスが、死ぬまで、右腕・・・」


反芻する。そして理解する。ボスの命が消える瞬間まで、側に居て右腕であり続けること。それは、ボスより先に死んではならないということ。

静かな衝撃が俺を打つ。

だって俺が死ぬ時というものはきっと、十代目を庇ってだとか守ってだとかそういうものだと思っていた。俺はそれが本望で、そうやって死ねたら幸せだとすら思っていた。右腕として理想の死に方だと。けれどリボーンさんの言葉はそれを許さない。それじゃあお前は駄目だと言っているのだ。遠まわしに、だけど着実に、俺の問いに出された答え。リボーンさんが俺にくれた、答え。


「・・・ありがとうございます」


俺はリボーンさんに深々と頭を下げた。

そうだ、俺は死んじゃいけない。最後まで、十代目の側に居なければいけない。それが、今の俺に足りなかった考え。背筋にすっと芯が通るような、身が引き締まる思いを感じ顔を上げてリボーンさんを見ると、心なしか少し口元が上がって笑っているように見えた。


「そろそろツナの補習終わるみたいだぞ。行かなくていいのか?」
「あっハイ!失礼しました!」


急に引き戻された現実に、今度は軽く頭を下げて、俺はその空間から慌てて飛び出した。











* * *











リボーンさんの言った通り、補習をやっている教室は終了間際のざわめきで埋められていた。それから何分もしないうち、ぞろぞろと退室する中に十代目の姿を見つけて俺は呼ぶ。


「じゅーだいめー」


俺が待っていると思わなかったらしい、十代目がびっくりした表情で俺を見てこっちに来る。


「先帰っててよかったのに!ごめんね〜」
「十代目が謝る必要はありません!俺、リボーンさんとお話してたので!」


俺の科白に十代目がうえ、と顔を盛大に顰める。十代目は今日補習を受けていることをリボーンさんに内緒にしておきたかったんだろう、それぐらいは俺にもわかる。


「補習だったって速攻バレてんなー、またねっちょり勉強させられるよー・・・」
「・・・十代目、」


溜息を吐きながら昇降口へ歩き出そうとする十代目を、俺はゆっくりと呼んだ。いつもと少し違うそのニュアンスに気づいた十代目が、疑問符を浮かべた表情で振り返る。


「獄寺君?」


俺の顔を覗き込む十代目の瞳。その瞳を真っ直ぐに見て、すう、と息を吸って。


「俺、強くなりますから」


俺は告げた。ただ、ひとことだけを。


「・・・ど、どうしたの?何かあったの?」


一言発したきり無言の俺に、十代目が首を傾げる。


「・・・何でもありません」


俺は少しだけ笑って答えて、もうそれ以上言わなかった。ここから先は、俺の、心の奥に留めた誓い。


(あなたの為には死にません、だけどあなたの為に死ぬ気で生きます)


きっとこれが本当の、「命を懸ける」ということなんだろう。リボーンさんが俺にくれた答え。その為に必要なもの、それは揺るがない強さ。精神や肉体のレベルなんかじゃないもっと大きな意味の。俺は誰よも強くなって自分の全てを捧げて、そして想像したくないけれど最後の一瞬まで。

ずっと俺は、この人の傍に。












Dedicate.1