悲しくも時代から取り残された侍という肩書きと生来の不器用さが相まって、僕はどこへ行っても怒鳴られてばかりいた。今日もバイト先の店長に救いようの無いくらい怒られて、終には店の裏口に投げ出された。
残飯の腐臭がする。酷く嫌悪を感じるのに、手足は弛緩して動かない。悔しいとか悲しいとかそういう感情はもう通り越して、今は只、疲れたと思った。家に帰っても借金取りが姉上と僕の首を絞めにやってくる。居場所なんて無い。もう、何もかもが嫌だ。どうでもいい。
その時だった。耳慣れない音が聴こえて、僕はのろのろと顔を上げる。音のする方向へ首を向けたら、表の通りで女の子がギターをかき鳴らしていた。やがてギターに彼女の歌声が乗る。
「お前それでも人間か〜♪お前の母ちゃん何人だ〜♪」
滅茶苦茶な歌詞だった。わけがわからない。けれど彼女は真剣だった。結った髪を揺らし、華奢な指がギターの弦を行き来する。通りに人影は疎らで、彼女の歌を聞いているような人はいないに等しい。なのにどうして。どうしてそんなに真っ直ぐに歌っているんだろう。
つ、と頬を暖かいものが伝った。胸の奥の感情には名前が付きそうにないけれど、僕の心いっぱいに広がっている。あんなにも重かった手足が意識せずに動いて、気がついたら僕は彼女のすぐ側に座り手を叩いていた。
「ありがとォォォォ!」
1曲歌い終えた彼女はそう叫んだ。客は僕ひとり、けれどまるで大江戸ドームで5万人の歓声に答える様に。そして僕を見て、嬉しそうに微笑む。
「ありがとう」
今度は僕がお礼を言った。知らなかったんだ、歌声がこんなにも荒んだ心を埋めてくれること。何もかも嫌だと投げ出していた気持ちはいつの間にかいなくなって、暖かい想いが満ちている。僕は彼女の歌に救われたんだ。
侍が時代の忘れ物であることも、僕がどうしようもなく不器用であることも、何も変わっていない。だけどこれからまた辛い壁にぶち当たった時、僕は今日この瞬間を思い出して、また立ち上がれる気がした。
どんな運命が僕を捻じ曲げようとしても、この心だけは真っ直ぐに。そう、彼女の歌声のように。