洗面所の戸を開けたら先客がいた。鮮やかなコーラルピンクが目に入って初めて、昨晩の記憶が蘇る。
久しぶりにまともな仕事をして珍しくお金が入ったらしい万事屋銀ちゃんメンバーは昨日、お酒とお肉と糖分をたっぷり持って我が家にやってきた。私も仕事が休みだったから、みんなで盛り上がって、最後は酔いつぶれてしまって覚えていない。みんなそんな状態だったから銀さんも神楽ちゃんも我が家にそのまま泊まったのだろう。
「おはよう神楽ちゃん」
「あーおはヨー姉御ー・・・あ、ここ使うアルか」
「神楽ちゃんが終わってからで構わないわ」
「じゃあお先に使わしてもらうネ」
まだ寝惚けているらしく呂律がうまく回っていないけれど、手は魔法のように無駄なく動いて髪を綺麗に2等分する。毎日同じ作業をしているから、もう体に刻み込まれているのだと思った。
「髪、纏めるの上手ね」
「そうアルか?もうずっと自分でやってるから慣れアル」
もうずっと、という響きが重かった。神楽ちゃんはまだ十代前半、その年齢で口にする「ずっと」は一体どれくらいなんだろう。神楽ちゃんのお母さんは早くに亡くなったと聞いた。髪を結ってくれるひとはいなかったのだろう。自分もそうだった。幼い頃はおかっぱだったから結う必要もなかったけれど、それでも同じ年代の女の子が可愛らしく髪を結っているのを見ると、なんともいえない寂しさを感じたこともある。そんな自分の姿に神楽ちゃんが重なって、私は口を開かずにいられなかった。
「ねぇ、私が神楽ちゃんの髪を結ってもいいかしら」
「マジでか!やってやって!」
間髪入れずにきらきらした笑顔が返ってきて嬉しくなった。私に櫛を渡して、鏡の前でにこにこしながらスタンバイする神楽ちゃんが可愛くて仕方ない、と思った。
「えっと、お団子ふたつにすればいいのかしら」
「ううん、姉御と同じ髪型にして!」
「え?」
予想外の言葉にびっくりした。私の髪型なんて、ただ後頭部で髪を纏めてちょっと逆毛を立てただけの、何の変哲もないものなのに。
「本当にそれでいいの?」
「いいネ。姉御とお揃いにしたいアル」
「・・・わかったわ」
私は神楽ちゃんを思いっきり抱きしめたい衝動に駆られながら、眩しいピンク色の髪を手に取った。前髪とフェイスラインを残し、ひとつに纏めて結って、少しだけ逆毛を立てる。いつも自分で自分にやっている手順を誰かの髪でする、というのはなかなか不思議な気分で、新鮮だった。
「できたわ」
「わぁ、マジで姉御と一緒アル!ありがとネ!!あ、銀ちゃんと新八に見せて来るネ!!」
「まだ寝てたら起こしてきて頂戴ね」
「了解ヨ〜」
とたとた、と走っていく神楽ちゃんを見送りながら、今度は自分の髪を結った。私も毎日、まるで機械のようにこの仕草をずっと繰り返してきたけれど、髪を結う、という行為は女の特権であり象徴でもある、特別なこと。誰かが自分の髪を結ってくれるということ、結ってくれるひとがいることというのは、とても幸せなこと。神楽ちゃんのお母さんも私の母上も、もしかしたら娘の髪を毎日結ってあげたいと思っていたのかもしれない。でも、もうそれは叶わぬ願い。
だったら私が、これからも神楽ちゃんの髪を結ってあげよう。一緒に暮らしているわけじゃないから毎日というわけにはいかないけれど、一緒に目覚められる朝の数だけ、ずっと。神楽ちゃんがもう少し大人になったら、お互い結い合うのもいいかもしれない。天国にいるふたりに代わって毎日繰り返すこの行為を笑いながらできたなら、とてもとても、素敵。